はじめに
2024年3月31日から仕事を1年休んで世界旅行に出る事にした🌎
とは言っても貯金は無いしこの円安ではすぐにお金が尽きてしまうので、ひと月旅行してひと月日本で働くというサイクルで生活をし始めた。
最初に選んだ国は大学の卒業旅行で行こうとして、COBID-19のパンデミックで断念したトルコ。2年越しの夢を、イタリアまでのバルカン半島横断という形にして叶えることにした。
途中には90年代に鎖国を解消した国もあれば、20世紀最後のジェノサイドが起きたと言われる凄惨な内戦を経験した国もある。
僕がブログを書こうと思ったのは備忘録として、この一年だけと決めて二度と出来ない経験を忘れないようにしたかったから。そして日本語の情報が少ない国々に行く同志達の道標となりたかったからだ。
ブログの最初にありがちな自己紹介は、少しずつ各記事で書いていこうと思う。何よりもまずは僕の経験を、読んでいる方々と共有したい。
きっかけ
思えばなぜもっと早く世界を旅しなかったのかと思う。大学を休学してバックパッカーとなったり、中高生の間に留学をしたりというのは今や珍しくない。
世界史が大好きで英語も得意だった(はず)が、一人で長期間海外旅行をする経験が僕にはなかった。お金や時間が無かったという言い訳をしてみるが、振り返るとそれらをおしてまで行く覚悟がなかったのだ。いや、行くという発想すらなかった。
新卒の1年が終わろうとする時、キャリアに思うところがあった僕に同期が言った。
俺、来年終わったら仕事辞めて旅しようと思うんだけど、お前もどう?
鮮明に覚えている。衝撃だった。「ハンマーで頭を打たれたような」という表現があるが、まさにそれだ。
当時僕は、より時間と金に余裕のあるキャリアへ進むことを考えていた。想像よりも社会人は時間が無かった。金はある、しかしまとまった休みなんて取れても1週間程度。
「見た事のない景色を減らす」という命題を人生に据えた僕にとって、海外旅行に沢山行くためには時間と金がより必要だと思っていた。そこでこの同期である。敷かれたレールをあえて外れて、やりたい事に全力を注ぐ。その情熱に胸も打たれた。

しばらくして決意を固める事があった。別の同期とベトナムに行った時の事だ。漠然と仕事を辞めるのは決めていたものの、いまいち心の踏ん切りがついていなかった僕はホーチミンの街を歩いて目が覚めた。
中央分離帯で立ち止まり、横を向くと無数の車と隙間を埋めるように走るバイクの群れ。日本では一生見ることのない景色がそこにあった。出よう外に、越えよう海を。ベトナムではごくありふれた光景、しかしこういう世界が広がっていることを知った今、決意を遮るものは何も無くなった。
Thanks to…
実際に旅に出るまでに後押しとなった出会いを紹介したい。
最初はベトナムからの帰国便に並んでいたとき、後ろにいた高齢の日本人男性。「日本人かい?」と声をかけていただき、沢山のお話をした。
現役時代は東南アジアでインフラ事業に携わり、引退後にタイのコンドミニアムに住まれている方だった。3か月ごとにビザが切れるタイミングでベトナム旅行をしてから日本で過ごし、タイに帰るというサイクルで生活しているらしい。最近は若い日本人(特に男性)はめっきり減って、中国や韓国の人を多く見かけるようになったとおっしゃっていた。
皆もっと外に出た方が良いと思うんだ
仕事で若いころから海外に出、今も外から日本を見る機会の多い方の思いはとても考えさせられるものだった。在外邦人の数はずっと増えているようだが、ヒトとモノの移動が盛んになっている現代で相対的に海外に出ていないということだろう。
2人目は一方的にブログを拝見しているだけの方だ。歯科医師の職を辞し、バイクで世界旅に出ている。コンセプトが面白いし、走る地域も馴染みのないところが多く、いつも楽しく拝見している。

旅先の情景はもちろんとても興味深いが、一番惹かれるのは随所に出てくる管理人額賀氏の精神世界だ。今の日本社会で生きる事に様々な問いを投げかけている。突き詰めると旅、特に一人旅とは目の前の景色を正面で見据えているようで、実はこれまでの経験を後ろ向きに見ているのではないかと感じた。
最後に職場の上司の前職後輩の方。やはり新卒2年目で仕事を辞めて海外放浪を出た人だ。1度だけお会いして様々な旅のTIPS、思い出話を聞かせてもらった。
俺は2人にも味わって欲しい
先人にこんな素敵な言葉を貰ってやらない訳にはいかない。無事に一年やり遂げて楽しんでくることを約束して、お別れした。僕も旅を終えて誰かにこう言ってみたい。「ぜひ味わって欲しい」と…
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